あなたは何のため。誰のためにやるの?
何のため、誰のためにやるのか。 とおい異国で今、盛大な葬儀をやっている。 しかし、葬儀に参列するかどうかは、個人の自由。 気に入らない、全くの場違いなどを理由に逮捕するのは、それは民主主義に反する。 古い考えを持つことは、良いとの世論があれば、古い考えを持つことが間違っていると反論するところもある。 それぞれの考えがあることは、とても素晴らしいです。 でも、多様な考え方を1つの考えに絞り込むため、様々な考えを逮捕という暴挙に出ることは、本気でだめです。 9月27日、元内閣総理大臣が銃殺で亡くなったことを理由に国葬が開かれる。 元内閣総理大臣が他人によって銃殺されることは、大変心苦しい。 しかし、元内閣総理大臣を銃殺した犯人の供述から、犯人も元内閣総理大臣にあった接点で犯人が被害者であったことを知り、少なからず、元内閣総理大臣はしっかりと罪を償ってしてほしい気持ちで一杯です。でも、反省しなかった。 だから、元内閣総理大臣は犯人の手によって殺された。犯人の正義によって殺された。 その真実に異論はないです。 そもそも論、国民が違和感や不信感を抱く行動を元内閣総理大臣が堂々と行動するのは、国家元首の長として、本当に正論とは言いにくい。 犯人。現在は被告人となったけども、相当心の中で葛藤があり、自己解決に至らなかった上で自分の手で元内閣総理大臣が殺されるテロが起きた。 この歴史の1ページに私は、何を考えることができるだろうか。 そもそも、元内閣総理大臣という地球上の偉人が邪悪な手によって殺されたことで元内閣総理大臣を信仰する人々からすれば、何も一切、考えることはできないです。 しかし、何も属さない身からすれば、双方の考えを見ることができるし、冷静に『なぜ、このような歴史の1ページができたのか。』『なぜ、犯人が元内閣総理大臣を殺すことで何か得ることがあっただろうか。』『未然に防ぐことができなくても、銃撃事件以前に苦しんでいる方々は、一体どんな運命を歩むことになっただろうか。』 今回の元内閣総理大臣の死去に伴い、誰々がどの政党を支持しているかがよく分かった。 これで日本がさらに二分化する運命となったから、もうこれ以上、暴走を止める意味がなくなった。 とにかく今は、国葬がどうなるのか。強く見守るしか方法がない。